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古典から学ぶ大事さと落とし穴

 

◆ はじめに

 マシュー・サイド著の「失敗の科学」を通して、古典に学ぶ大事さとその落とし穴について考えてみたい。「失敗の科学」は分類すれば評論のジャンルに位置づけられる本だろう。評論は私にとってとっつきにくい。なぜか。

 私は科学の分野に長く身を置いてきた。科学論文であれば、冒頭に研究分野と先行研究例が挙げてあって、読者は研究の客観的位置づけをまず理解することができる。論文筆者はそのうえで研究成果の卓越性を主張するのが一般的なので、読者にとって納得性が高いものになるし、批判的に読みやすくなる。しかし評論においては必ずしもそのようなストーリー展開は一般的でなく、根拠不明の伝聞や著者の思い込みをベースにして独りよがりの主張を展開している本をよく目にする。私は評論を読んでそのような観を強めていたが、マシュー・サイド著の「失敗の科学」を一読して、「これは違う」と思った。おそらくそれはサイドが一流のジャーナリストであり、ものごとを相対化して見る姿勢を基本としているからだ。

 相対化とは、ある視点やものの見方をそれが唯一絶対ではないという立場でみることを言う。ジャーナリストには堅持していただきたい姿勢である。例えば、取材をして一つの事実をつかんだとしても、別の角度から検証して事実と確認できない(ウラを取れない)限りは、「事実」として記述しない。「失敗の科学」でサイドは多くの人にインタビューをしたうえでこの本を記述している。また、古典や故事を引用する際には、評論ではとかくある固定した視点から都合の良い題材を集めがちになるが、サイドは多くの古典や故事について、それらを相対化して記述している。その執筆姿勢に好感をもてたし、記述には説得力があった。

 

◆ 『憧れるのを止めましょう』

 具体的な話に入る前に、「失敗の科学」の歴史的背景として、西欧の知性をどう相対化してみるかという視点で、少し唐突な話題をあげてみたい。プロ野球選手大谷翔平は2023年3月のワールドベースボールクラシック(WBC)の決勝戦の直前、ロッカールームでのチームミーティングでこう言った。

『憧れるのをやめましょう。ファーストにゴールドシュミットがいたり、センターを見ればマイク・トラウトがいるし、外野にムーキー・ベッツがいたり、野球をやっていたら誰しも聞いたことがあるような選手たちがいると思う。憧れてしまっては超えられないので、僕らは今日超えるために、トップになるために来たので。今日一日だけは彼らへの憧れを捨てて、勝つことだけ考えていきましょう』(出所

 私は、明治以降の日本の知性は、欧米の、特に西欧の知性に「憧れて」きたのではないかと思っているので、この叫びは自分に強く刺さった。憧れる段階に留まっていては知的戦いにすらならない。相手の高い知性を尊敬し、尊重するのは当然であっても、憧れだけで対面すると相手の本性(様々な長所、短所)を見落としたり、こちらの知力を十分に発揮できなかったりして、知的戦いを通じてこそ得られる知性の成長には届かない。

 ヨーロッパで歴史的に支配的だった理念は、自分たちを世界で唯一の文明人と位置づけ、自らの文明の淵源をギリシャ・ローマに置き、その他の地域を未開地域、そこに住む人たちを未開人と見下してきた歴史を持つ 。勢い、自らの知性こそが普遍性をもっており、その他の地域はその知性で開化されるべきとする、ひとつの普遍主義(全体に通じるとする理念などを個人の上位に置く考え方)となっている。無批判的にこの普遍主義に自らを染めてしまってよいのだろうか。「失敗の科学」では西欧人であるサイド自身が、西欧発のこの理念そのものを批判的に検証しながら、解くべき問題の本質をより深く捉えようとしている。

 大谷翔平のWBCでの「憧れるのを止めましょう」とマシュー・サイドの「失敗の科学」に現れている二人の姿勢には、好ましい共通点がある。以下、マシュー・サイドが、古典・故事に触れつつ自らの課題意識にチャレンジしている場面を、順追ってひとつずつ具体的に見ていきたい。

 

◆ 古来『失敗は不名誉』

『オーストラリア、グリフィス大学のシドニー・デッカー教授によれば、失敗を不名誉なものととらえる傾向は、少なくとも2500年前から見られるという。』(和書p.25)

出所:Sydney Dekker, lecture in Brisbane

 デッカーは、口述講演ということかもしれないが、このエビデンスは示していない。この講演では誰からも何も咎められない「パラダイス」は自分の周りに数人の人間しかいなかった時代まで戻らないとない、という冗談も言っている。

 デッカーは「ヒューマンエラーは裁けるか―安全で公正な文化を築くには」の著者としてよく知られている。

 

◆ クローズド・ループ現象

 クローズド・ループ現象とは、失敗や欠陥にかかわる情報が放置されたり曲解されたりして、進歩に繋がらない現象や状態を指す。サイドは「瀉血(しゃけつ)」を分かりやすい例として、概略次のように説明している。(和書pp.25-26)

『西暦2世紀 ギリシアの医学者ガレノスが「瀉血(血液の一部を抜き取る排毒療法)」を広めた。この治療法は、当時の最高の知識もった学者が、まったくの善意から生み出したものだった。じっさいには効果が無いばかりか、病弱者からは耐力を奪った。しかし、瀉血は19世紀まで一般的な治療法として広く認められていた。医師に知性や思いやりが欠けていたのではない。治療法に欠陥があると言う認識がなかった。治療を一度も検証しなかった。
 良くなれば、「瀉血が効いた」と信じ、患者が亡くなれば「瀉血でさえ救うことができない重症だった」と思い込んだ。』

 ガレノスについてはバナールが次のように説明している。

『小アジアで生まれ、アレキサンドリアで教育を受け、ローマで開業した。アラビアと中世の医学と解剖学的知識の源となり、尊敬と権威を獲得した。後世の医者は、彼の知識と実験技術の広さに圧倒されて、自分自身の観察を彼のものと対立させることを躊躇った。』(J.D.バナール「歴史における科学」、みすず書房,1954)

 Wikipediaの説明も参考になる。

 

◆ 科学は常に『仮説』である

 サイドはカール・ポパーの著作から次の引用を行う(和書p.61)

『科学の歴史は、人間のあらゆる思想の歴史と同様、失敗(中略)の歴史である。しかし、科学は、失敗が徹底的に論じられ、さらにほとんどは修正されてしかるべきときに修正される、数少ない---おそらくはたったひとつの---人間活動だ。だからこそ、科学は失敗から学ぶ学問だと言えるのであり、その賢明な行動によって進歩がもたらされるのである。』(Karl Popper, Conjectures and Refutations: The Growth of Scientific Knowledge (Routlege &Kegan Paul), 1963, 和訳本「推測と反駁---科学的知識の発展」藤本他) 

 サイドはポパーの主張の裏付けとして、16世紀のイタリアでガリレオ・ガリレイがピサの斜塔で行った(真偽は別として、行ったとされている)物体の落下実験を挙げる。当時、アリストテレスは絶対であった。アリストテレスは重い物体ほど早く落下すると主張し、人々はそれを信じていた。瀉血の効果を信じたように。しかしガリレオは軽いものでも重いものでも落下速度に違いがないことを実験で示し、ポパーの仮説である科学の反証可能性を実証した。

  バナールは前出の所で次のように記述している。

『(科学の)一つの危険は、それを何か頭の中でつくりあげた理想的なものと考えあたかも自然や人間に関する真理を発見する一つの固有の方法があって、科学者はその方法を見出してそれを守ってゆきさえすれば以下のように考えることである。そういう絶対的なものの考え方が誤りであることは、科学の歴史全体によって証明されるのであり、歴史はさまざまな新しい方法を絶えず発展させてきたのである。科学の方法というものは一つの固定したものでなく、一つの生長していく過程である。』

 

◆ 発明は理論に先立つ

 サイドは従来から提唱されてきた「線形モデル」と呼ばれるトップダウン式の技術革新プロセスを、ボトムアップ式の試行錯誤を極端に軽視している点から強く批判する。線形モデルの一例として、次のように記述する。

『産業革命はそれ以前の科学革命があったからこそ、すなわちボイル、フック、ロックによって築かれた理論や思想があったからこそ、その語の機械化工業化が進み、世界が大きく進化したというわけだ。』(和書p.157)

 そして、このような従来のとらえ方に異議を唱えたイギリスの生化学者テレンス・キーリーの著作「The Economic of Scientific Research(科学研究における経済法則)」(Palgrave Macmillan, 1996)に注目する。そこでキーリーは、第一次産業革命の中核をなした紡績業を成立させた紡績機のいくつもの発明について、次のように述べた。

『しかし、これらの大発明は、科学的な知識に負うものでは一切ない。どれも熟練した職人(日頃から生産性の向上に努め、それによって工場の利益に貢献していた職人)の実践知や経験知をもとに、試行錯誤を繰り返して生み出された賜物である。』

 バナールは前出書で次のように説明している。

『(産業革命期)経済的要求に反応した技術の進化は、その初期の段階では何ら科学の介入なしに起こることができ、事実そのようにして起こったのだが、当面の傾向に身を任せていったところ、予期しなかった困難が現れ、科学を呼び求めることによってはじめてその困難を取り除くことができたというようなことがしばしば起こった。』

 ここでの論点は「中央研究所の終焉」を検索語にしてウェブ検索することにより、さらにいろいろな見方を得ることができるだろう。

 

◆ 神聖であることの罪

  p.308 イギリスの哲学者ブライアン・マギー「彼らの真実は神聖なものとして一切汚されることなく次の世代へと語り継がれた。その継承のために、宗教儀式や聖職、のちには学校が作られた

 サイドは神聖であることの罪に注目する。従来の思想に異議を唱える者には暴力的な制裁が下された歴史を述べつつ、哲学者ブライアン・マギーの次の言葉を強調している。

『神聖化された真実が受け継がれる時代は終わり、思想を批判的に検証する理性的な時代が始まった。科学的手法の幕開けだ。誤りは災厄から好機へと変わったのである。』(和書p.310, Bryan Magee, Philosophy and the Real World, 和訳本は「哲学と現実世界---カール・ポパー入門」)

 

◆ 人類の進化は一度止まっている

  p.311 フランシス・ベーコン「我々がもつ科学的知識の大半は古代ギリシア人がもたらした。こうした古代ギリシアの多大な貢献のあとは、実に長きにわたって、人類が置かれた状況を緩和し利益となる実験はほぼひとつも示されていない」

【筆者注】

<実証、実験の勧め>ベーコン(1561~1626)、ガリレオ・ガリレイ(1564~1642)、デカルト(1596~1650)

<社会的実験の勧め>ジョン・スチュアート・ミル、自由論(1859)「人間が不完全な存在である限り、さまざまな意見があることは有益である。同様にさまざまの性格の人間が最大限に自己表現できると良い。誰もが、さまざまの生活スタイルのうち、自分に合いそうなスタイルを試してみて、その価値を確かめることができるとよい」

 サイドは「失敗の科学」を閉じるにあたって、再度批判を許さず、異議を唱えることを許さなかった長い時代(17世紀に科学革命が起きるまでの時代)を振り返り、なぜそのような状況になったのかを考察している。彼はその要因を硬直化したマインドセットや確証バイアスに置く。これらは先行する章で数々の事例とその考察によって、いかに「成功」の妨げになるかを彼が繰り返し主張してきた要因である。

 

◆ おわりに

 以上から、マシューの「科学の社会化史」とでも言うべき思いを次のようにまとめてみたい。ここで科学は、自然、人文、社会を総称する。

(1) ある特定の理念を「不可侵」なものとしてしまう歴史が綿々と続いており、そのために⓵社会システムを作り変えたり、②心理面で「固定的マインドセット」を利用したりする。科学の側がその固定化を進めるように作用することも良く起こる。
(2) その「不可侵」の軛から科学自身が脱し、科学を社会化したのは、西欧においては、紀元前5世紀前後の古代ギリシアでのギリシア哲学と16世紀から胎動し始めた産業革命後の自然科学の二つとなる。その後、ギリシア哲学は社会規範化し、長い間ヨーロッパ世界に君臨した。
(3) これからも、うっかりするといつなんどき、「不可侵」な理念の下に、長く続く「暗黒」の時代になる危険性があるが、それを自律的に押しとどめ、さらなる開花を推し進めるための「自戒」事項を明らかにした。

 (2023-11-7記)(2023-11-17改)

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